FROM THE PRINCIPAL
- 園長通信
- 年度の終わりに -3月総会にて-
年度の終わりに -3月総会にて-
4月に入学・進級という新しい生活に入ってから1年が経とうとしています。ニューライフ幼稚園とともに子どもたちに向き合い、教職員を励まし支えてくださった保護者の皆さま、本当に有難うございました。本日は、次の新たな門出を前にして、他者と自分の両方と、愛情ある結びつきをもつこと、そして、自分が抱える課題から目をそらさず、あきらめずに問題を乗り越えて行くこと、この2つの大切さを述べたいと思います。
先日、事務室へやってきた年長さんにこんなことを聞かれました。「ええ?園長先生にも、ママがいるの?」「ママ、いるよ!どうしてそう思ったの?」と尋ねると「えー、変なの!」と教えてくれました。実はこの問答は初めてではありません。子どもたちは園長に“ママ”や“パパ”がいることを『変だ。』と思う様です。何故だろうと考えました。これは生物的な関係性としての「自分はママから生まれて来た」という概念を持たない・薄いことを示しています。つまり子どもにとって“ママ・パパ”とは、優しくて、温かくて、ご飯を作ってくれたり、寝る前に絵本を読んでくれたり、遊んでくれたりする。そして、いつも味方になって自分を危険から守ってくれる信頼する大人であり、もう、その大人の側にいるはずの園長に、まだ“ママ”や“パパ”がいると知り『変なの。』、つまり、つじつまが合わない、と感じているのでしょう。
一方で、“ママ”や“パパ”は神様ではありません。1人の人間です。先日、別の日に父母の会の皆さんと最後のミーティングをする機会がありました。ミーティングの最中に隣で年長さんが卒園式の練習をしており、ピアノの行進曲の伴奏が流れて来ました。するとお母さんたちの何人かが泣き出してしまったのです。
人はどんな時に泣くのか。泣く理由として、それまで我慢してきた、自分の本音に触れた時に人は涙を流す。という考え方があります。幼児をもつ母親・父親は、そのほとんどの時間を子どもに費やさなければなりません。理性を働かせ、外への気遣いや注意を継続させ、自分の感情や本音を後回しにせざるを得ないこともあったのかも知れません。卒園式に向けた度重なる儀式によって「もう、泣いていいよ。」と言われたように感じられ、これまでの数多くのできごとが走馬灯のようにめぐり、置き去りにした自分の感情をしみじみと味わう機会が訪れているのかも知れません。
子どもたちを中心とした幼稚園生活の中では、多くの喜びがある反面、多くの悲しみや心配があったことと思います。困難な時も逃げ出さずに前を向き、毎日子どもたちを支えて来られたことに深い尊敬を抱かずにはいられません。ときには、私たちの力が及ばないこともあったかと思います。そんな中においても温かいご指導のお言葉を頂きましたことに深く感謝申し上げます。
私たちニューライフ幼稚園にとって、2024年は新しい時代へ向けた変容の始まりの年となりました。2025年も私たちは目の前にある自分たちの課題から逃げ出さず、あきらめずに問題を乗り越え、子どもたちのために1歩1歩邁進して参ります。そして、時代とともに皆様から愛される園となれるよう努力して参りますので、引き続きご指導・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
ニューライフ幼稚園 園長 角和麻衣子